父親になる準備をしている“つもり”だった頃の、正直な限界

父親になる準備は、誰よりもしてるつもりです。
それを発信までしているんだから、上位層に入ることは間違いないと思います。

しかしそうであったところで、現実にはまだ父親になっていない。
こういう、まだなってないのに”準備を張り切る”のって、一番弱いのかもしれない。

父親になる準備をしている「つもり」の危うさ

後から考えたら全く見当違いのことなのに、知らないから全力投球。
実際なってみたら全然違って、そういうやつが一番テンパる。

想像できない場所に立っているという自覚

これ以上は想像できない、という場所に立っている気がする

と、しておいた方が私にとってはいいのかもしれない―――。

避け続けてきた、お金の話

避けているのは、間違いなくお金のこと
家計管理や将来設計。年金のこと。
今生活は回ってるから…と避けてる。
避けたら一番いけないことなのは分かってる。
けどだからこそ、避けてしまう。

しかしここを越えたら、一段レベルが上がる気がする。

いちばん後悔しそうな未来

たぶん、子どもができても生活は回ると思います。
子どもがある程度大きくなっても、夫婦ふたりで働いたらどうにかはなるんだと思います。

ただ、子どもの成人年齢や私たちの老後に入る時期を考えたら、困るのはここだと思います
ガツガツ働いて貯蓄を作っていける年齢でもない
でも現実はあるし、止まらない

困る老後だけを見ながら、老後に向かって日々日銭を稼ぐだけの人生が始まる

日々日銭を稼いでなんとかなればいいけど、いよいよ体が動かなくなってお金もないとなったら、子どもから仕送りをもらう生活?
一番後悔するのはここ。

自転車操業でも生活が回っているうちは、遠くの問題から目を背けて、なんとかなるって言っていられる
目先の生活さえ回っていれば、がんばることが大事とか実際なんとかなってるとか、問題から目を背けて、薄っぺらい希望っぽいにも縋れる
だから苦しさがそこまでない

だけど人生終わりに差し掛かったときに、一気に現実を突きつけられてもうどうしようもできない。
子どもに頼るしかない、となったら子どもに惨めな思いをさせる。
親に情があったら、子どもは余計に苦しむことになる
先のない親のために。

それでも逃げきれない理由

子どものため、妻のため、とは言うものの。
実際それは、正しいし正しくない。

自分の人生を、自分らしく生きたい。

これが一番正解に近い気がする。
それに付随して、子どものため、妻のため、があると思う。

人はひとりで生まれて、ひとりで死ぬ。
どうあっても、自分が自分の人生の主人公

妻であっても、いくら子孫である子どもであっても
私の人生を手渡すことはできない

私の目からみたら、極端にいえば妻も子も、私の人生の彩りでしかない。

だけどしかし、妻には妻の、子には子の、それぞれの目から見た人生の彩りがある。
妻から見た私、子から見た私。

私の目から見たら、私が主人公で、妻はあくまで脇役で。
だから私の目線から楽しめるように。

ではなくて、お互いの彩りをお互いでよりよいものにする。
そして子に紡いでいく。

この発想や感情が、私らしさだと思うし、私の人生だと思う。
それにはお金が必要。

私の人生の主人公として、私らしく生きるために、お金が必要。
彩りをもつために。彩りを他者に拡げて、他者からも彩りをもらうために。

そうしていく中で、互いの人生が穏やかなものになると、思っているから。

まとめ(仮)

これは答えではない。
今の自分が立っている場所を、
ただ言葉にしただけだ。

きっと数年後に読み返したら、
「全然見えてなかったな」と思う。

でも今は、
ここまでしか見えていない。

それを自覚できていること自体が、
今の自分にできる、精一杯の準備なのかもしれない。

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