妊娠してから、
妻の時間は、確実に前へ進んでいます。
それをそばで見ながら、
私はまだ、同じ場所に立っている気がしています。
きっかけ(観察)
妻は、日々の体調を見ながら食べるものを選んで、
「これ食べたら気持ち悪くなるかな」
「でも何か入れておかないと」
と、小さな判断を何度も繰り返しています。
検診の日もそうです。
自転車ならすぐの距離なのに、乗れないからバスに乗る。
いつもと違う交通手段で、少し戸惑いながら出かけていく。
その後ろ姿を見ながら、
私は「がんばってるな」と思うだけ。
同じ重さで何かを背負っている実感は、正直まだないです。
置いていかれている感覚
私も、何もしていないわけじゃないんです。
本を読んだり、ネットで調べたり、
妻への接し方を変えてみたりもしています。
「妊娠してから、接し方が変わったね☺」
と言われたときは、正直、少し救われた気がしました。
でもそれは、
前に進んでいる証拠というより、
遅れないように必死で走っている証拠だった気もします。
妻は、確実に一歩ずつ前に進んでる。
私はというと、その背中を見失わないようにしてるだけ。
気持ちはあります。
でも、形になっているかは分からない。
妻と比べて、出遅れて止まってしまってる感覚。
焦り・違和感・置き場所のなさ
父親になる準備をしている“つもり”は、たくさんある。
だって、記事も書いるし考えも言葉にもしている。自分なりに行動もしてる。
けどそれって本当に、「前に進んでる」と言えるんだろうか?
前に進みたいって思ってるだけで、実際は同じ場所で足踏みしてるだけなんじゃないか。
妻はどうやっても、身体をもってして、前に進む。
それに合わせた行動が、正しい。
私の行動の正しさは、分からない。
誰がいつ、どうやって、正しいと判断してくれるんでしょう。
それが分からないから、妻の一言に一喜一憂するんでしょうね。
そもそも、誰かが認めてくれるために、準備をしているのだろうか。
それは目的が承認されることにすり替わっているんじゃないか。
準備って、なんだ。
妻はもうスタートを切っていて、”準備”なんて段階じゃない。
それなのに、私は今、”準備”をしている。
書きながら、よくわからなくなってきました。
焦りが、募る。
「今の自分の立ち位置」を言語化する
冷静に考えてみると、
どちらが正しい、という話ではない気がしました。
- 妻はもう、「当事者の時間」に入っている。
- 私は、まだ「準備の時間」に立っている。
時間の進み方が、もう違う。
だから、
置いていかれている感覚も、
焦りも、
不安も、
どれも間違っていないと思います。
ただ、現実として、
私はまだ、ここに立っている。
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