出生前診断について、夫婦で少し話をしました。
出生前診断というものがあるのは知っていましたし、 妊娠前は必ずする!って思っていました。
しかしいざ、妊娠して出生前診断が現実的に近くなってくると、
ちょっと怖い気がしてきたんです。
少し立ち止まってしまいました。
なぜすぐに調べなかったのか
出生前診断に怖さがありました。
あんなに「絶対する」と思っていたのに。
それは、なぜか?
決断を迫られたり正解を突きつけられたりする不安があったからでしょうね。
良い悪い、ではなくて、怖い。
検査をしてもし障害などが見つかった場合、
自分がどんな行動をとるのか。
それにどんな感情がでてくるのか。
その後、それらがふたりの人生にどんな影響を与えるのか。
今までは、ここまでの解像度がなかったから、「絶対する」って簡単に言えたんでしょうね。
調べるのは、今でも怖い。
だから正直、まだ調べられていない。
「知ること」と「決めること」は別だと思った
出生前診断には期限があります。
そのため、いつかは結論を出さないといけません。
怖さもあります。いや、怖さしかありません。
ただ、その怖さの中で、私はひとつの結論にたどり着きました。
『「知ること」と「決めること」は別であるということ』
出生前診断について知ったからといって、決断をしなくていい。
いくら期限があるからと言っても、情報を知って即決断しなくてもいい。
知った後に心が揺れて、悩んだっていい。むしろ悩んだ方がいい。
できる限り悩んだ方が、その結論に責任をもちやすくなると思いますしね。
でも「知ること」と「決めること」って、混ざりやすい。
イコールにしやすい。
しかしそうじゃないことを理解することで、「知ること」への恐怖心が軽くなります。
ここでやっと、安心して、「知ること」に向かえるんだと思いました。
妻と同じスピードで考えられないこと
妻は当事者として進んでいます。
出生前診断について、不安や恐怖もあると思います。
しかし当事者だからこそ、現実を見て、出生前診断という言葉が自然に出せたのかもしれません。
妻の本当のところは分かりません。
私が怖くて、そんな気がしているだけなのかも。
私は当事者じゃないからこそ、後ろを歩いている感覚が、どうしてもあります。
そんな焦りが、妻に対して「当事者はいいよね」なんてあまり良くない気持ちを生んでいるのかもしれません。
しかしだからこそ、まず整理したかったんです。
「当事者はいいよね」は、私の本当の感情。
この感情に蓋をして見ないようにしたり、綺麗に整えて違うものに変えてしまったり。
そんなことをしたら、どんどんズレてくると思います。
だって、最初が違うんだから。どこかで綻びが出てきます。
そもそも、同じスピードで考える必要もないのかなって思います。
私は私のスピードで。
けど、
私のありのままの感情には目を背けないで。
今後の私
出生前診断について、立ち止まっていました。
けど今では、
その立ち止まっていることやそれについて回る感情を見つけることができました。
それが分かったからといって、出生前診断がどうなるかは、今のところ分かりません。
結論は出ていません。
でも、
情報に向き合う覚悟が、できたような気がします。
情報を知って現実を突きつけられて、感情が揺れて。
その過程の中で不安になったり自己嫌悪したりして。
しかしそうすることで、
最後にした決断には、そうしなかったときより、何倍も責任をもてるように思います。
ここから私は、情報に向き合っていきます。
その後どうなるか、今はまだ、分かりません。
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