出生前診断を前に、私が「ここまで考えたら十分だ」と思えたライン

※この記事はNT検査の期限前にそのときの感情をまとめたものです。

出生前診断の期限が迫ってます。

正解が分からない。
誰かに答えを委ねられる話でもない。

ネットを見ても、
「どちらが正しい」という話ばかりで、
自分がどこまで考えればいいのかが、分からなくなっていました。

そんな中で、私はある地点にたどり着きました。

それは、
「これ以上考えなくていい」と思えるラインです。

今日は、その思考の記録です。

「正解」を出す日ではなく、「十分考えた」と言える日

出生前診断について、
私は今日、完璧な正解を出そうとはしていません。

ただ、
「ここまで考えたなら、逃げていない」
そう言える地点まで行きたいと思いました。

迷いを消すためではなく、
後悔を減らすために。

検査で何が分かり、何が分からないかを理解したか

まずは、事実です。

出生前診断で分かるのは、
一部の染色体異常が中心です。

すべての障害が分かるわけではない。
検査をしたからといって、未来が保証されるわけでもないんです。

逆に、
検査をしなければ、何も分からないわけでもないです。

検査は、
未来を決める行為ではなく、
判断材料をひとつ増やす行為

ここを理解できた時点で、
少し冷静になれました気がします。

「検査をしない後悔」と「検査をする後悔」を比べたか

次に考えたのは、
どちらが楽か、ではないです。

どちらの後悔なら、
自分は引き受けられるのかです。

検査をしなかった場合。
もし障害があったら、
「なぜ調べなかったのか」と
一生自分を責めるかもしれない。

検査をした場合。
もし厳しい結果が出たら、
その決断を背負って生きることになる。

どちらも重いです。
でも私は、
前者の未来を想像したとき、
良い未来が描けませんでした。

自分の限界を、嘘なく認めたか

ここは、正直つらかったんですよね。

私は、
障害をもった子を背負う自信がないです。
愛し続けられる自信も、育てる自信もない。

命を守りたい、
そう言えたら格好いい。

けれど、
自分がそこまで強い人間だとは思えなかったんですよね。

これは逃げではなく、
自分の限界を知ることだと思ってます。

限界を無視した決断は、
あとで必ず歪む。

そんな風に感じました。

妻の気持ちを「尊重」と「同一視」に分けて考えたか

妻は、
中絶を考えたくないと言っています。

たしかにその気持ちは、
間違いなく尊重すべきものです。

でも同時に、
妻の気持ちと自分の決断を、
完全に同一視してしまっていないか。

自分の不安や弱さを、
なかったことにしていないか。

「任せる」と言われた以上、
自分の気持ちを正直に持つことも、
私の責任だと思ったんですよね。

「今日の決断は、今日の自分が出す」と割り切れたか

未来の自分が、
どう思うかは分かりません。

もっと強くなっているかもしれない。
違う答えを出せるかもしれない。

でも、
今日いるのは、今日の自分だけです。

今の知識。
今の感情。
今の限界。

この条件で出す結論なら、
それは逃げではなく、
その時点での最善だと思えました。

ここまで考えたら、十分だった

出生前診断について、
私はまだ答えを出してません。

けど、
どこまで考えればいいのかは、分かった気がします。

これ以上考えても、
不安が消えるわけではない。

だから今日は、
「ここまで考えたら十分だ」
そう言える地点に立ったことを、
記録しておこうと思います。

どんな選択をしても、
軽く決めたわけじゃない。

それだけは、
胸を張って言えるように。

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