#8 陽性反応が出たあの日―あなたを“2mmちゃん”と呼んだ夜、僕の心が動きはじめた―
\ 連載中「僕たちの妊活はじめました。」シリーズ /
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妊活中、陽性反応を見たとき、あなたならどう感じますか?
その夜、妻が手にしていた妊娠検査薬には、確かに線がふたつ、浮かんでいた。
時計を見たら22:40。
その数字は、まるで「記念日」のように胸に刻み込まれた。
でも正直、実感はなかった。
今までずっと陰性だったし、「本当に?」という気持ちが先にきた。
でも、内心では…ちゃんと嬉しかった。
その日から僕は、日記をつけはじめた。
動画も撮った。
“まだ名前のないあなた”に、私なりの言葉を残したくて。
「できた」——その一言がくれた喜びと戸惑い、
そして「守っていこう」と思った静かな覚悟を、今日は書き残しておきたい。
陽性反応を伝えられた、22:40のこと
喜ぶ妻と、落ち着いていた自分
忘れもしない22時40分。
妻はトイレから出てきて、私に陽性反応が出たことを伝えてきました。
その時、妻は喜びと驚きが入り混じった表情をしていました。
待ちに待った結果と、変わってしまうこれからへの不安と戸惑いと。
しかし話していると、やっぱり喜びの方が大きいようでした。
私はというと、とても落ち着いていました。
嬉しいは嬉しい、もちろんそうですけど
嬉しいのに、なぜか実感がなかった理由
嬉しいのに、落ち着いていたのは実感がなかったからです。
期待していませんでしたからね。
いや、期待していなかったワケじゃないです。
ただ、”期待しちゃいけないんだ”と思っていたんです。
妊活を始めてすぐは妻が無排卵だったり私の精液検査もまだで、陽性反応も出ずでした。
なので、漠然と大きな不安がありました。
妻の身体を整えて私の検査も終えて、それでもできずでした。
なので夫婦でできることはするけど、”期待しないようにしよう”という空気が漂っていました。
そのため、陽性反応が出たといわれても実感が持てませんでした。
「変わっていく生活」と「秘密の準備」
妻の身体や気持ち、二人の生活が、これからどんどん変わっていきます。
どんな風に変わるかは分かりませんけど、変わることはたしかです。
何もできない、しない、しようとしない旦那さんの愚痴を、巷でもXでもよく見かけます。
けれど、妻にはそう感じてほしくないです。
もちろん、私はエスパーじゃないし出来ないところからの出発なので100%妻の思い通りにはできません。
けど今からだってやれることはたくさんあります。
一つ一つこなしていけば、積み上げていけば、出産時には強い夫になれているはず。
そう思い、私は22:40から”秘密の準備”を始めました。
「2mmちゃん」と呼びかけた夜
2mmという言葉に感じた“命の重み”
陽性反応が出た翌日、妻は急いで、けど嬉しそうに病院にいきました。
帰ってきた妻が嬉しそうに見せてきました。
エコー写真でした。
「2㎜だって」
私はすぐに、親指と人差し指で2㎜くらいのサイズを作ってみました。
今までは当たり前ですが、妊娠出産を経験したことがありませんでした。
それに「命の重さ」を伝えるような番組は、出産シーンとか出産直後とかがメイン。
なのでお恥ずかしい話にはなるんですが、出産して50㎝くらいの赤ん坊を見た瞬間に「新しい命の重さ」を実感するんだとばかり思っていました。
けれど、指先の2㎜で命の重さを実感しました。
そとのきから、私は妻と一緒に「2㎜ちゃん」と呼ぶようにしました。
「名前はまだないけど…」と語った動画の記録
「名前はまだないけど」とすぐに動画を撮って、私は語りました。
家のこと、妻のこと、自分のこと。
今日いま、すぐにはできません。ましてや、てきるようにもなりません。
けれど記録に残すことはできますし、むしろ今しかできません。
生まれてきて何十年もたった後に、22:40の感動や不安のすべてを思い出して伝えることはできない。
私はそう思い、今しかできない動画を撮りました。
22:40に急いで撮影したのは、ガッツポーズをしているだけの10秒程度のものです。
いやもっと喋ることあるだろ、って今なら思います。
けど「とにかく残して伝えたい」というリアル感が伝わる方がずっと大事。
思いをキレイに整えてから伝える、見せるための動画なんて後でいくらだって撮れます。
けれどそれよりもお風呂出たあとの髪も濡れてて、無言でガッツポーズの方が”思い”は絶対に伝わる。
そんな動画を撮りました。
父になる覚悟は、少しずつ芽生えていった
父になる覚悟は2㎜ちゃんがいる実感とともに、少しずつ芽生えていきました。
妻の体の心配や、その心配の先にいる2㎜ちゃんの存在。
妻のためにすることが、2㎜ちゃんのためにすることになっている。
そして、これから家族のカタチが変わっていくという現実。
すぐに何かできるようになって、なんでも任せて!という状態になれたワケでもないです。
ですが”思うこと”でだんだんと、父になる覚悟が芽生えてきました。
思うことだけじゃ、夢を見てるだけの学生と同じだと思います。
けど”思うこと”で家族として、父親としてスタートを切れたのは、本当によかったと思います。
私はこの思いを胸に、父親になっていくんだと思います。
陽性反応の喜びの裏にあった“不安”
検査薬の線が“消えるかもしれない”という怖さ
命が消えてしまうかもしれない。
陽性反応の喜びの裏に、ずっと常にこの不安がありました。
次の検診までの時間が、とにかく長い。
「次の検診、いつだっけ?」と何回も妻に聞いてしまいました。
もちろん答えは変わりませんが、不安を解消したかったんです。
絶対に終わってほしくない。
妻のこと、2㎜ちゃんのことを思えば思うほど、不安も大きくなりました。
命が始まってなかったときまでは、陽性反応を期待しないようにしていると目を背けることで楽になれていた部分もあります。
けど私たちが授かれた新しい命。
“初期は流産しやすいから期待しないようにする”なんて器用なことは、私にはできませんでした。
「何もできない自分」に焦る日々
かといって、何かできるワケではないです。
妻の身体を労わったり、妊娠の情報を調べたりすることはできます。
けれど、それをしたからと言って流産しないワケじゃないです。
もちろんできることは夫婦でやっています。
けど・・・
とにかく何かしていないと不安でした。
“何もできない”ことから気を逸らしたい、そんな感じでした。
できることをどれだけやっても、焦るばかりの日々でした。
「健康に生まれてきてくれればそれだけでいい」と思えた理由
子をもつ人が口をそろえて言う「健康に生まれてきてくれればそれだけでいい」この言葉。
不安に圧し潰されそうな日々を過ごしながら、初めてこの言葉の意味が分かりました。
大切な人を亡くした経験もあるので、命の重さが分からないワケじゃないです。
なのでこの言葉の意味も、分かっているつもりでした。
けれどいざ実際に授かってみると、”分かったつもりだった”と実感しました。
私たちが授かった新しい命、それはどんなものより大事。
子をもつ人が口をそろえて言うこの言葉って、
新しい命ができたことの嬉しさや不安、戸惑いをぜんぶ含んでたんですね。
“ガッツポーズ”は、小さな命への最初の返事だった
あの日、私は自分の姿を動画に残した。
無言でガッツポーズをしていた。
言葉にはならなかったけど、それが私なりの「ありがとう」だったのかもしれない。
そのあと、「2mmちゃん」って呼びながら、カメラに向かって語りました。
名前もまだない、姿も見えない、でもそこに“命がある”と思えたからです。
親になる実感は、まだなかった。
でも、「守っていきたい」という気持ちは、もう始まっていました。
それだけは、確かでした。