
#10 妊活は止まっているけれど、夫婦の歩みは続いている~手術を経て、いま立っている場所と、これからの話~
にんかつ妊活を始めて、いろんなことがありました。
病院に通って、薬を飲んで、タイミングを合わせて、そして――立ち止まる時間も経験しました。
実はいま、私たちは妊活を「一時お休み」しています。
妻の手術を経て、いまは体を労わる時間。けれど、心の距離はぐっと近づいた気がしています。
今回はシリーズ最終話として、“妊活はいったん止まっている今だからこそ書けること”を、夫の目線から書いてみます。
妊活が止まった時間に気づけたこと
あの手術の日、私は何もできなかった
手術の日、私には何もできませんでした。
ただ待っているだけ。
夫として、男として、何もできないことに不甲斐なさを感じました。
「もう最後だよ」という妻の言葉に、ひとり涙を流すことしかできませんでした。
この不甲斐なさや言葉にできない気持ちがが気まずさとなり、私たちの関係を壊していくんではないかと恐怖しました。
「再開していない」ことへの焦りと向き合う
そして「妊活を再開していない」ということへの焦りもありました。
陽性反応が出てからは過ぎるのが遅く感じた時間が、どんどんすぎていく。
「まだいいよね」なんて気持ちでいたら、どんどん歳をとって取返しがつかなくなるんじゃないか。
けれど妻の体や精神のことを考えると、妊活はできません。
したところで、傷をつけてしまうだけです。
今無理にする意味はまったくないのは、頭ではわかってるんです。
しかし感情がうまく追いつきません。
何もしない時間がただただ過ぎていくのが、とにかく怖かった。
そんな恐怖や焦りと、夫婦で向き合っていました。
でも、笑顔が戻ってきた
でもすぐに、笑顔は戻ってきました。
私たち夫婦はセックスレスを経験したり病院に通ったり精液検査をしたりと、いろんな壁を2人で越えてきました。
特に、私たちにとってはセックスレスの壁は高かったように思います。
それらの壁を乗り越えてきたからこそ、すぐに笑顔に戻れたんだと思います。
それらの壁を乗り越えていなかったら、手術に対して何もできない憤りや妊活をしていないことへの焦りを妻に伝えることができなかったでしょうし。
伝えることができなかったら、その後、気まずくなっていたことも容易に想像がつきます。
今回は手術という大きな壁でしたが何か特別なことをしたワケでもなくすぐに笑顔に戻れたのは、今までに築いた夫婦関係の賜物のように思います。
セックスのこと、あらためて話そうと思えた
「避妊してても、したいと思える」ってすごく大事なこと
現在は、妻の身体の状態を見て、やっと避妊しての行為ができるようになりました。
しかしセックスレスのときであれば、この時期にしたいと思っていなかったでしょう。
セックスレスが解消していても、子どもを作るための行為という考えだけでしていても、この時期にしたいと思っていなかったでしょう。
(この状態で解決していると言えるのかは少し微妙なところはありますけど)
だからこそ、この時期に”したいな”って思えるのはすごく嬉しいです。
「妊娠するための行為」じゃない夜の話
“妊娠するための行為じゃない”と思えた夜、「セックスレスから始まった夫婦関係が本当に取り戻せたんだな」という実感ができました。
むしろ、セックスレス前の関係よりよくなってるような気もします。
いや、よくなっているんでしょうね。
思春期に”セックスは妊娠するための行為”と知りました。
この歳になって、逆に”セックスは妊娠するため「だけ」の行為じゃない”ということを分からされました。
言葉では分かっているつもりでしたが、体験することで感覚として理解したというか。
今回の一連のことを不幸とは表現したくないので、不幸中の幸いではなく嬉しい誤算というか偶然の産物というか、そんな感じですね。
体感することで理解できた、そしてさらに夫婦関係が深まったよい夜でした。
「夫婦としての時間」を取り戻してる感じがする
今の期間って、
悪く言えば時間だけが過ぎていくし、その分焦りも強くなる。
けどよく言えば”夫婦の時間”を取り戻している気がします。
この妊活再開までの”夫婦の時間”の過ごし方で、今後の夫婦の信頼関係が変わってくるのかなと思います。
妊活が再開したら、妊娠のための行為にもなるがゆえ、純度100%の”夫婦の時間”ではなくなるでしょうし。
そう思うと、夫婦関係をはぐくむ意味では最適な時間なんだと思います。
夫婦は、“妊活”をしていなくても、前に進んでいた
カレンダーに書かれない時間が、大切だった
妊活をしていると、この日が排卵日で、じゃあこの日にしなきゃいけなくて、じゃあこの日に精液検査をして、とカレンダーに記入されます。
そして、ある意味、作業的にその日々を過ごしていく、というかこなしていきます。
妻のことが大切だし好きだからそういった日々に苦痛はありませんでした。
しかしそういった日々がいったんお休みになったことで、”カレンダーに書かれない日”の大切さを知れました。
妊活をお休みしたことで、焦りました。
出産を目標とした場合なら、このお休みは前進していません。
けど、
夫婦としては、”前に進んでたんだね”って思います。
自然にこう、思えた・感じられたことは、私たち夫婦のこれからの”大きな糧”になるんだと思います。
「一緒にいるだけで、もういいかもね」と思った日
もちろんできてほしいし、できてほしくないなんて微塵も思いません。
だから今後も時期をみて、妊活を再開します。
ですが同時に「一緒にいるだけで、もういいかもね」と思えたのも事実です。
今は姿も形もない子。
大事ですし作りたいです。
ですが妻あっての子、間違っても子あっての妻じゃない。
こう思えたのも、本当によかったです。
セックスが”妊娠するためだけの行為”じゃないことを経験して分かったのと同じですね。
夫婦関係がよりつよいものになっている実感をもてた日でした。
「またいつか」の“いつか”に、名前をつけてみようか
けどやっぱり子どもはほしいので、近いうちに妊活を再開します。
近いうちではありますが、またいつかです。
私たちの妊活再開は近い、未来というほどは遠くないすぐ先。
だけど今の夫婦のいい時間だから、この妻だから、この時間をずっと長く過ごしていたい。大切にしたい。
すぐにでも妊活を再開したい、けど今の時間をずっと過ごしたい・・・!
反対の気持ちですが、私のこころには共存しています。
ここちよい気持ちです。
そんな気持ち、いずれくる”またいつか”の妊活再開に名前をつけたい。
時間だから長さではないけど、あえてこの時間をこう表現したいですね。
このまたいつか、2㎜の先に。
また、ここから歩いていく。
妊活ブログを書き始めたとき、ここまでたくさんの方に読んでもらえるなんて思っていませんでした。
いま私たちは妊活をいったんお休みして、少し肩の力を抜いた時間を過ごしています。
でも、これは後退ではありません。
「この人と一緒にいるって、やっぱりいいな」
そんな風に思える日が少しずつ増えて、夫婦としての土台が前よりも強くなってきた気がしています。
妊活はまた再開すると思います。
でも焦らず、少しずつ。
このシリーズを読んでくれたあなたの時間にも、静かな光が差し込みますように。
そしてまた、「旦那の目線」でお会いできる日を楽しみにしています。