#妊活

避妊してても、抱きしめた夜のこと。

妊活のためにしていたセックスは、「するか、しないか」じゃなくて、「今日、タイミング取る?」だった。

排卵検査薬とカレンダーとアプリに追われて、笑いながら、でもちょっと疲れながら、夜を迎えていた。

だけど今は、妊活をおやすみしている。

避妊していても、ただ触れたくなる夜がある。
妊娠を目的にしない、やわらかい夜。

その時間が、どれだけ大切だったのかを、いま思い知っている。

 

タイミングに縛られていたあの頃の夜

優しさも焦りも、“妊活の一部”だった

妊活開始当初は、タイミングに縛れてばかりいました。

でも嫌気さを露わにせず”妊活をすること”が優しさの表現だと思っていました。
なので妊活をするんですが、やっぱり疲れちゃったりしました。
けどやっぱり子どもが欲しいから無理してしてみたり。

すればするほど、焦っていく自分。
けどこれがやさしさなんだ、と言い聞かせる自分。

焦りの結果、セックスレスになったこともありました。

けど今思えば、やさしさだけじゃなく、焦りの方も”妊活の一部”だったんだね。
今でこそ、そう思えるから楽ですけど、当時は妻にも言えず一人でものすごく焦っていました。

 

「これでいいのかな?」と思いながら続けていた

「これでいいのかな?」って思ったことは、一回や二回じゃないです。

この不安感というか、何か引っかかるような気持ちというか
これでいいんだ、と言い聞かせてもやっぱり出てくるんです。
妻とは妊活をしているのにも関わらず、です。

妊活してなくて「これでいいのかな?」ならわかるんですけど、妊活ができているのに…。

当時はこの感情の正体が分かりませんでした。
しかし妻をいつか、嫌いにはならなくとも拒否してしまう時がくるんじゃないのか
またはその逆か。

そんな感情が入りまじった「これでいいのかな?」という気持ちでした。

 

愛情と義務感の、あいだにいたふたり

私たち夫婦は、愛情と義務感のあいだにいたんです。

愛情があるから、妊活をするし
妊活をするから、愛情がでてくるし

それで子どもがそのままできれば良かったんですけど、
なかなか妊娠することができず、セックスの”義務感”の比重が次第に高まってきました。

愛情がなければ逆に、楽だったんでしょうけど、私たちには愛情がありました。
なので、悩んでしまいました。

けど”愛情と義務感のはざまにたったふたりがどうすればいいか”の答えなんて、
ふたりにしか分からないけど、ふたりには分からなかったんです。

セックスレスになったりもして、もうダメなんじゃないかと思ったこともありました。

 

避妊してても、そばにいたいと思えた夜

「妊活じゃないセックス」がくれた安心

今は稽留流産の手術が終わって身体も安定してきたため、避妊をしてのセックスをしています。
“妊活じゃない”セックスです。

すごく、久々な気がします。いや、久々なんですけど(笑)
妊活をはじめた頃は避妊をしないことが嬉しかったのに、今では避妊してのセックスで喜べる。
行為中にお互いに照れたり笑ったりが多くなった気がします。

当たり前ですが、今の避妊セックスには義務感がありません。
けど義務感がないのにしたくなる、この感覚が、本当にうれしい。

妊活やセックスレスの、不安や憤り、焦り、不安を越えた先にあった安心感。
ここにきてやっと、「これでいいのかな?」と感じたもやもやの正体が分かった気がしました。

“安心感がなかったこと”でした。
けど今は妊活じゃないセックスが安心をくれています。

 

ただ“したくなる”ことの、当たり前の尊さ

ただしたくなること、

当たり前のことではあるんですけど、それが本当にうれしい。
妊活中のいろんな悩みや壁を乗り越えてなかったら、この”当たり前の尊さ”には気づけていなかったんだと思います。

特にセックスレスのときなんて、全然したくならなかったし。
性欲はあったりなかったりだったけど、したくはらなかった。
けど愛情がなかったわけじゃないからこそ、辛かった。

そんな悩みたちを乗り越えてきてるから、当たり前がとにかくうれしい。
そのおかげで、愛情も一段も二段も深くなったように思います。

 

この人と、もう一度恋してる気がした

こう表現するのはとても恥ずかしいんですが、とても的確なのであえて。
“もう一度恋してる”気がしてます。

妊活をしていないのに、
「この人でよかった」
「この人がいいな」
「この人じゃなきゃダメだ」
なんて、最近すごく思います。

妊活していたときは、こんなトキメキ感はなかったように思います。
やっぱり義務感のない、自然的な行為っていいですね。

この感覚、気持ちのまま、妊活再開まで走っていこうと思います!
いやいや妊娠しても出産しても、この気持ちのままで。

※ 昔の写真を見て妻をかわいいと思ったりしているのは、ここだけの秘密です。

 

妊活が止まっても、夫婦の歩みは止まらなかった

「目的」じゃなく「感情」で触れ合うということ

目的ありきで触れ合うと、義務や結果ありきにも次第になっていく。

義務が重たくならないうちに結果を出せればいいのかもしれない。
けどそう、うまくいかないこともあります。

そうなったときに、セックスが辛くなる。
相手のことが嫌いなワケではないのに、セックスは辛くなる。

結果、すれ違いになる。

けど感情で触れ合っていると、辛くなった時も感情で触れ合えるのかなって思います。
たとえその触れ合うカタチが喧嘩だったとしてもね。

 

ふたりの時間は、ちゃんと育っていた

妊活は流産が分かって以降、止まっています。
私たち2人も止まってしまうんじゃないかと怖かったです。

しかしいざ手術を終えて日々を過ごしてみると、私たちの気持ちは止まっていませんでした。
そこには、”避妊しててもそばにいたい夜”がありました。

同棲や結婚、妊活までのじかん
妊活をはじめたとき
セックスレスになったとき
大喧嘩してもう終わったんだと思ったとき
セックスレスは解消したけど、うまくいかなくて病院にいったとき
陽性反応がでたとき
それから子どもがたしかにお腹にいたとき
流産してしまったとき
手術を見送ったとき

いろんな時間を一緒にすごして大切にしてきたから、妊活は止まってしまっているけど私たちの時間は止まらなかったんだね。
ふたりの時間は、ちゃんと育って結果をみせてくれたね。

 

妊活の外にある、やわらかな幸福

今は、妊活はお休みしています。
なので妊活の”そと”にいます。

“子どもができることが何よりの幸せ”とまでは言いません。
がしかし、私たち夫婦の幸せのカタチの大きいなものとして、子どもの存在があるのかなと思います。

だから、陽性反応が出たときは冷静なフリをしつつめちゃくちゃ嬉しかった。

子どもありき、子どもがいるから幸せ。
自分の幸せの方法を子どもに押し付けるなよ、とか難しい話はいい。ただ、幸せでした。

しかし子どもが流産してしまったため、その幸せも終わってしまいました。
ですが私たちの幸せが終わってしまったかというと、そうではありませんでした。

“ふたりの育んできた時間”が、私たちにやわらかな幸福をくれました。
子どもがいなくてもいい!とは思えませんが、子どもがいない今の時間はふたりで大切にしてきたいなと思います。

https://x.com/note_haibarasan/status/1923945890982789471

 

“ふたりでいる”って、こういうことかもしれない。

妊活中は、目標が明確だった。
カレンダーが指し示す「この日」に、ふたりで向き合う夜。

でも、いまの私たちは違います。

「今日しようか?」なんて聞かない夜。
「ただ、そばにいたい」って思えた夜。

そんな夜があるから、またもう少しだけ、前を向ける気がする。

妊活が止まっても、心はちゃんと、ふたりで歩いていた。

そしてきっとまた、“妊活”という名前じゃない夜を、ひとつずつ重ねていけたらいいなと思う。

妊活は夫婦のチーム戦。悩みながら、でも前を向いて。 noteでは心の記録、ブログでは妊活シリーズを綴ってます🌱 好きなお酒はジンとアブサンです。 ▶︎ note:https://note.com/haibarasan ▶︎ ブログ:https://dannamesen.org

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