たった1行のメモに泣いた日|時間の向こうにいる君へ #1

今日、ふと、以前書いたメモをパラパラと見返していました。

メモというのは、その場の勢いで書くことが多く、
日記のように整ってはいないけれど、
そのぶんだけ「心の素の温度」が残っている気がします。

そして、その中の1枚に、こう書かれていました。

――「4/8 18:00 8㎜ 順調」

ほんの一行。
数字と時刻と、短い言葉。
でも、それを目にした瞬間、
あの日の空気と、妻の笑顔と、胸の奥のざわめきが、一気に蘇ってきました。

メモを見返した日のこと

短い言葉の中に、息づかいがある

メモというのは、整っていないぶん、
書いたときの自分の呼吸が残っています。
そのとき何を思っていたのか、
どんな気持ちで書いたのか――
言葉の形よりも、行間がそれを語ってくれるのです。

整っていないからこそ、まっすぐ響く

「4/8 18:00 8㎜ 順調」
たったこれだけの文字列に、あの日の温度がありました。
書きながら、きっと私は心の中でこうつぶやいていたと思います。
“よかった”“まだ小さいけれど、ちゃんと育ってる”と。


あの日のことを思い出す

妻が検診から帰ってきた日のこと

その日の夜、妻は少し照れたような、でも誇らしげな表情で帰ってきました。
検診の結果を報告するその声は明るく、
「順調だったよ」と笑っていました。

LINEを見て、仕事中に片手でガッツポーズをした

その少し前、妻から届いたLINEには、
小さな陽性マークの写真が添えられていました。
職場で画面を見た瞬間、思わず片手でガッツポーズをして、
心の中で「ありがとう」とつぶやきました。

「8㎜だったね」と話し合った夜の記憶

その夜、私たちは何度も「8㎜だったね」と言い合いました。
ただの数字なのに、どれほど嬉しかったことか。
未来を思い描きながら、
その小さな命をまるで宝物のように感じていました。


手記と、まだ見返せないページ

あの頃、毎日つづった“未来への手紙”

実は、2mmちゃんの記録は陽性判定の日から始まっています。
生まれてくることを前提に、
毎日欠かさず書き続けた手記。
「いつか妻にプレゼントしよう」と思いながら、
未来の私たちへの“手紙”のように綴っていました。

今はまだ、開けない

そのノートは今も手元にあります。
けれど、まだ開けずにいます。
あの頃の自分たちは、
“生まれること”しか考えていませんでした。
ページをめくるたびに、
胸の奥で何かが崩れてしまいそうで、
今の私では、まだ受け止めきれないのです。


半年がたった今、思うこと

あの一行は、“報告”じゃなく“祈り”だった

「4/8 18:00 8㎜ 順調」
それは単なる記録ではなく、祈りでした。
「どうかこのまま順調に」という、
あの日の自分の願いが、
一行の中に静かに残っていました。

「2mmちゃん」がくれた最初のプレゼント

悲しみを閉じこめず、
言葉にして残していくこと。
それが、あの子がくれた力だと思います。
書くという行為そのものが、
私にとっての“救い”でした。

まだ見れないページを、いつか笑って開くために

あの日から半年。
悲しみは消えないけれど、
言葉にするたびに、少しずつ前に進めている気がします。
いつか笑って、あの手記を開ける日が来たら――
そのときは、きっとまた書こうと思います。


まとめ

あの1行を見つけた日、
過去と今が静かに重なった気がしました。

泣いた理由は、悲しみだけではありません。
あの子がいた証を、
ちゃんと覚えていられる自分がいることが、
少しだけ嬉しかったのです。

このシリーズは、
あのとき書いた“1行のメモ”と、
まだ開けていない“手記”から始まります。


🧭 内部リンク(本文末尾)

→ 続きはこちら
『半年がたったね。|時間の向こうにいる君へ #2』

🌙 本記事の初稿(感情そのままのnote版)はこちらで公開しています。
→ 📓たった1行のメモに泣いた日

※ブログでは整えた記録として、noteでは温度のまま残しています。

※本記事は10/8に記述したものです。

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