生理が5日遅れています。
ふたりで「ちょっとだけ期待してしまうね」と話した夜でした。
期待しすぎたくない気持ちと、
期待してしまう気持ちが、同じ場所にあるような感覚。
妻のお腹は少し痛むようで、
ときどき感情が揺れると言っていました。
検査薬は数日後に使う予定。
その時間までの、この静かな揺れを、どう受け止めていいのか分かりません。
生理が遅れて6日。ふたりで感じている“静かな期待”
生理が遅れて、6日たちました。
2、3日のズレはよくあることですし、そこまで期待しません。
その程度のズレで期待してしまうと、毎回心を擦り減らしてしまいますし。
ですが6日は、「ちょっと長すぎるのでは?」と思うんです。
期待していないつもりですが、期待しているんでしょうね。
さすがに6日は”よくあるズレ”の範囲から出るのかな、と。
妻も「ほぼ確定じゃない・・・?」なんて、言っていました。
しかし、大手を振って喜べない。
それは前回の陽性、そして流産の記憶が思い出されるから。
なので、ほぼ確定?であるにも関わらず、喜びより慎重な気持ちが勝っています。
妻の言葉が、胸に残った
「ほしくなかったわけじゃないけど、覚悟が必要になるよね」
妊娠が“現実”になるとき、喜びだけじゃ整理できない気持ち。
妻は正直にそう言った。
ずっとほしかった―――
それは間違いないんです。
流産という経験をしてもなお、妊活に励んで望んだ結果。
陽性を今、手にしようとしている。
けど私たち夫婦は望んだだけで、実際に子どもが生まれたことも、もちろん育てたこともありません。
もし確定となれば、
望んだ結果の裏側の、現実を見ることになります。
子どもを産む―――、
その覚悟が必要になるんです。
できたら嬉しい。でも怖さもある
「できたら良いこと。でも生まれなかったら辛いだけ」
ふたりとも、その現実を知っています。
前回の流産経験があるからこそ、今回は浮かれずに、落ち着いて受け止めています。
もし仮に陽性が確定したとしても、また流れてしまうんじゃないか。育たないんじゃないか。
そんな恐怖に苛まれます。
ある意味で、一番怖い期間なのかもしれません。
子どもを持てるかもという喜びから、ダメだったといきなり地の底に落とされるんですから。
もし検査薬を使っていい結果でも、手放しでは喜べないのかもしれません。
ダメになってしまったときが、怖いから。
私の中にある、期待とも不安ともつかない感情
期待しているのか、していないのか、自分でも分からない
「今回もダメかも」という思いと、「もしかしたら」という思いが同居しています。
どうしても、
前回の陽性、そして流産の記憶が揺らぎとして戻ってくる。
生まれるまでの10ヶ月、ずっと気が抜けないのかな。抜けないんだろうな。
まだ陽性が出たわけでもないのに、ずっとこんなことばかり考えています。
けどいずれ、どちらかの結果を得ることになります。
妻のために、もっと強くならないといけませんね。
妻との会話
妻「ほしくなかったわけじゃないけど、できたとなったら覚悟きめないといけなくなるよね」
私「今まで結果が出てなかったから今回も出ないだろうって思ってて…出たら逆に現実味がないよね」
ふたりとも声のトーンが落ち着いていました。
“前回のときほど喜べない”というより、
“簡単に喜んではいけない気がする”という方が近いですね。
前回はもう、驚きと喜びしかありませんでしたからね。
流れる可能性なんて寸分も考えることなく。
妻「もうだいぶ遅れてるけど、いつ検査薬しようか」
私「ちょっとまだ少し様子をみよう」
前回とは違い、陽性でも陰性でも怖いです。
だからもう少しだけ、気持ちを落ち着けてからということにしました。
それでも、少しだけ期待してしまう
妊活の判定待ちは、どうしても感情が揺れます。
不安と期待を両方抱えて、ただ数日を過ごすしかないんです。
正解の気持ちなんて、どこにもない。
ただ、その揺れを“ふたりで同じ場所に立って感じている”ことが救いになるのかなぁと思います。
不安があったって、期待があったって、それは仕方がないし当たり前。
けどふたりが同じ気持ちで同じ方向を見て、同じ場所に立ってる。
それだけで、今は安心できる。
安心できるから、少しだけ、期待が強くなってしまう。
期待していいのか分からない。でも、ふたりで同じ気持ちを抱えている
生理が6日遅れて、少しだけ期待した。
でも前回の陽性と流産の記憶があるから、心が喜びのみで大きく揺れることはありません。
嬉しい気持ちと怖い気持ち。
期待と不安。
妊活中の判定待ちは、そのあいだで揺れてしまう。
どんな感情が正しいのかは分からないです。
でも、ふたりで同じ感情をシェアできていることが、今の私たちにとっていちばんの支えになっている気がしますね。
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