結果は良かったのに宙ぶらりん。妻の結果と温度差にどう配慮する?
精液検査の結果が良好で、私自身は少しホッとしました。
でも同じタイミングで妻の結果が思わしくなく、複雑な気持ちに。
「夫だけ安心している状況」にどう向き合えばいいのか──。
妊活では夫婦で同じ温度感を持てない場面が必ずあります。今回はその葛藤と、配慮の仕方を整理してみます。
夫婦の「温度差」は避けられない
妊活は体の負担も検査の結果も人それぞれ。夫婦でも状況がズレることは珍しくないです。
「夫は良かったのに妻は悪い」「妻は改善しているのに夫は変化なし」──そんな食い違いは避けられないもの。
大切なのは「温度差は当然」と理解することから始まるのかな、と思います。
妻の気持ちをどう受け止めるか
妻は「自分のせい」と思いやすい
私の精液検査の結果は良く、妻の状態は相変わらずの排卵障害。
私の結果を伝えると、「2人とも悪いワケじゃなくて良かった」と言った後に「自分が悪いんだ、もう嫌だ」と、自分を責めてしまいました。
この妻の気持ちをどう支えたらよいのでしょうか。
「私は大丈夫だから」「私は気にしていないから」と自分目線ではなく、「一緒に向き合おう」と伝えて”寄り添う姿勢”を見せることが支えになる気がします。
とはいえ、理想では簡単に言えますけれど、難しいですね。
今はナイーブな状態ですし。
なので、何を言われてもいったん受け止めて反論せず、相手を受け止める”自分の心の余白”が大事な気がしています。
比較ではなく未来を見る
妊活は、あくまでふたりごと。できるかできないかの二択です。
片方の結果がよくてそれを比較しても、何の意味もないと思います。
それよりも”次にどう進むか”を考えた方が有意義です。
安易に比較をして、ふたりの温度差を広げて関係を悪くするより、未来を見てふたりの温度差を埋めて気持ちを暖める方がいいのかな。
しかしそう思って妻に治療法や薬について尋ねたら、妻の機嫌を損ねてしまいました。
私の”支えないと”だとか、”こう支えるべき”みたいな自分本位の気持ちが先走りすぎたんだと思います。
妻のペースに合わせること、妻本位で考えることを忘れていました。
反省しなければいけませんね。
理屈では分かっていても、実際、なかなか難しいです。
言葉より行動で支える
家事や生活習慣のサポート
妊活の身体的な部分に直接関係はないですけれど、小さなことでも行動でしますのは大事なことだと思います。
私目線で言っても、「一緒に妊活をしている」という実感にも繋がりますしね。
なので最近は少しずつ家事をがんばってみています。
ただここで気を付けたいのは、「やってるアピール」をしてしまったら逆効果になりかねないなということです。
あくまで目的は妻への配慮や休息が目的。
私が頑張ったことを評価してもらいたいワケではない。
なので、”評価しなければいけない”という空気を作ってしまったら、妻の負担になり得る気がします。
だから家事報告はせず、自然にやるようにしています。日々のルーティンワークとして。
これに関してはうまく行っていて、妻が義母に嬉しそうに「旦那が家事をしてくれる」と報告していました。
私としても、とても嬉しかったです。
無理に励まさない
妻が悲しんでいたり辛そうにしているときに無理に励ましてしまったら、妻はその励ましを受けないと受けないといけなくなります。
受けなかったら「せっかく励ましているのに…」という”励ました側の気持ちを無下にした”みたいな励まされた側が悪いみたいな構図になり得ます。
そうなったら、無理やり辛い気持ちを押しつぶして気丈に振る舞うようになるでしょうね。
すると励ました側はその気丈さだけを見て「あぁ、励ましたから大丈夫なんだ」と思ってしまう。
こうなってしまうと、ふたりの心中がどんどんズレていって、どこかで気持ちの糸が切れてしまうと思います。
そこまでいかなくとも、少なくとも本音は言えなくなるでしょうね。
必要なのは励ましより”共感”なんだと思います。
励ましと共感は似ているようで役割が違うものです。
励ましは「大丈夫」「頑張って」と相手を前に進ませる能動的な働きかけ。
一方、共感は相手の気持ちを理解し「つらいよね」「わかるよ」と受け止める姿勢。
励ましは未来への後押し、共感は今の気持ちへの寄り添いかなと思います。
悲しかったり辛かったりする、未来が見れないときに未来に後押しするのは負担になってしまうのは仕方がないですよね。
なので、妻の「もう嫌だ」という言葉を聞いたとき、私はあえてなにも言いませんでした。
励ましは不要ですし、共感も結果ががよい、そして男性の私がいくらしたところで上っ面で安っぽいでしょうから。
妻の悲しい、辛い気持ちに安っぽく触れるのはよくないのかなと思いました。
だから言葉ではなく、小さな行動をすることで、態度で共感的姿勢を示します。
自分の気持ちの整理も必要
罪悪感に押しつぶされない
“自分の結果は良かったに”という気持ちが、私にないワケではありません。
この気持ちも本当のものなので、無理に押さえつけたりはしない方がいいのかなと思いました。
この気持ちをうまく発散や消化したりして、次の前向きな気持ちや行動に昇華できたらいいなと考えています。
自分側の罪悪感や辛い気持ちを我慢したり、蓋をしたりして「はい、大人!」という考えはよくないと思います。
一見見えないようで、自分の気づいていないところでその不満やストレスが別のカタチで発露するでしょうし。
私はまずこの罪悪感や辛い気持ちをブログやnoteに書くようにしています。
書くという行為は、その気持ちを発散できると同時に、その深部に迫っていけます。
そうすることで、自分では気づけなかった深いところを知ることができます。
その深いところに、自分の気持ちの解決の糸口があると思っています。
宙ぶらりんな時間も妊活の一部
結果待ちの不安や先が見えない感覚も妊活の一部と捉えると、少しだけ気持ちが軽くなりました。
少しだけですけどね。
何も動いていない様に見える時間も、焦りや不安は募るけれど、妊活にとって欠かせない「プロセス」でもある気がします。
この時間の夫婦のコミュニケーションが信頼関係の土台になるのかな、と思っています。
だから多少辛くても、妻を支えるためにどっしりと構えていられます。
子どもを諦める未来が脳裏を過ったとしても。
外出先で子どもを見て、胸を締めつけられようと。
こんなところでヘタっていては、これから長い間、妻を支えられません。
宙ぶらりんな時間も、不安も、辛さも全部受け止めて、強くなっていこうと思います。
これからを見据える
結果に一喜一憂しない準備
うまく結果が出ない、結果が出ても流産する可能性もある。
生まれてくるまで、道のりが長いです。
なので、結果に一喜一憂しない準備をしないといけないのかなと思います。
毎月毎月、結果に振り回されていたら身がもちません。
と理屈では分かっていても、なかなかうまくいきません。
人なんてすぐに変わるものではないですし。
だけどゆっくり変わっていこうと思います。
妊活はふたりごとなので、小さな行動や姿勢で示していきます。
この行動や姿勢がふたりの信頼関係の土台になるんだと思います。
やることをキッチリやっていって、ダメなときは逆にちゃんと妻に頼ろうと思います。
子どもがいてもいなくても夫婦は夫婦
妊活が続いても終わっても、夫婦としては続いていきます。
なので、妊活の前に”夫婦として”生きていくことを意識するは大事なのかなと思いました。
そうしないと、もし妊活が思いにそぐわぬ形で終わりを告げたときに、夫婦としての関係も揺らいでしまうでしょうし。
ですが子どもがいない未来を辿った場合、お互い平均寿命で亡くなるとしたら、妻をかなり長い間ひとりにさせてしまいます。
この未来を想像すると、不安になってしまいますね。
夫婦の土台をゆっくりと作って、どんな未来でも迎えられるようにしたいですね。
理想なので、なかなか難しいでしょうけれど。
温度差があっても、同じ方向を向き続ける
妊活では「どちらかだけが良い/悪い」という温度差は必ず生じます。
大切なのは、結果を比較することではなく「その温度差をどう埋めるか」。
言葉より行動、行動より存在感──その積み重ねが、夫婦を同じ方向へ進ませてくれるのだと思います。