「不妊治療の“入口前”と思っていたら、もう中に入っていた」夫の揺れ
妻が排卵障害で薬を飲んでいます。
私はそれを「まだ不妊治療じゃない、入口に立ってるだけ」と思っていました。
けれど調べてみたら、それはすでに「不妊治療」でした。
入口の前じゃなくて、もう中に入っていました。
自分が妻の状態をよく知らなかったことも含めて、正直ショックでした。
そして、気持ちは大きく揺れています。
知らなかったことに気づいたショック
「入口前」だと思っていた
私は現在の妊活状況を「不妊治療の入り口前」だと、勝手に思い込んでいました。
私のイメージは、人工授精や体外受精が”不妊治療の入り口”でした。
なので安心、というワケではありませんが、気持ちが沈むことも今まであまりありませんでした。
だからこそ私のすることと言えば、妻の気持ちへの配慮や少しの家事負担程度のものでした。
それと精液検査をすれば、妊活夫としてはバッチリとは言わないものの、及第点は当たり前に越しているだろうなと思っていました。
実はすでに「不妊治療」だった
“妻の服用している薬剤ってどんなものなんだろう?”
この疑問から始まって、「何かあったときのために知らないより知っていた方がいいよね」と思い、妻に服用薬の名称を聞いてみました。
不妊治療の前段階の、身体の調子を整える程度のものだと勝手に思い込んでいました。
なので私はその薬剤を調べてみても、「これでうまく行かなかったら不妊治療ですよ」という”想像通りの結果”が出てくるだけたと楽観視しておりました。
ですが現実は、私の想像とは異ったものでした。
妻のことを理解できていなかった自分
私はこれまで、”妻に寄り添うやさしい妊活夫”くらいの自認がありました。
妻が初めて陽性反応が出たときに、妻に寄り添う気持ち一心でwebサイトを立ち上げました。
そうすれば記事を書いていく中で、妻への気持ちや妊活・妊娠の知識が深まると思っていました。
なので実際の私も、”私の自認が当たらずとも遠からず”くらいかな?と思っていました。
しかし実際の私は、妻のことを、妻の現状すら全然理解できていませんでした。
妻の現状を知らないのに、妻の気持ちなんて理解できるはずがない。
私はひどくショックを受けました。
PCOSという現実に向き合う
排卵障害という言葉の重さ
私に”排卵障害”という言葉が、重くのしかかりました。
不妊治療の”入口前”だと思っていた妊活。
もうすでに、入口から中に入っていたのです。
この重さを、妻はずっとひとりで抱えていたんだと思います。
私はとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
“やさしい妊活夫”なんて思いながら、その実、妻ひとりに負担をかけていたんです。
薬を飲んでやっと成り立つ妊活
排卵誘発剤を使ってやっと成り立つ妊活。
流産前と現在と、種類を変えて様子を見ている段階です。
クロミッド、レトロゾールというものです。
カベルゴリンという薬剤も服用しているようです。
“新しい薬剤を服用する”、”薬剤を変更して様子を見る”、”服薬を中止する”など
妻は服用ありき、変更ありきで成り立つ妊活に、通院のたびに不安になったことだと思います。
それなのに私は。
情報を調べてさらに揺れた気持ち
前回、陽性反応が出たこともあったため、私は妻の現状をそこまで深刻に受け止めていませんでした。
なので私は妻が「排卵誘発剤を服用している」くらいの認識しかありませんでした。
しかし情報を調べてみると、どんどん気持ちが揺れました。
排卵障害が不妊原因であること、PCOSの妊娠率の可能性や確率、薬剤の副作用やリスクなど。
私がなにもしないところで、妻はひとりで戦ってきたんですね。
💡(ここに補足として「PCOSは女性の不妊原因の中でもよくある症状。排卵がうまく起こらないため、治療で排卵を促すケースが多い」と情報補強するとSEO的にも読者的にもプラスです)
自分の年齢とリスクへの不安
自閉症リスクのことを知ってしまった
調べていくうちに、多嚢胞性卵巣症候群による排卵障害は自閉症の子どもの発症確率を増大させることを知りました。
僕ももう若くはないという現実
私も若くはないという現実もあります。
父親が高齢になると、子どもが自閉症やADHDを発症するリスクが増大すると言われています。
しかしどんなに頑張ったりお金を使ったところで、若くなることはできません。
どんなに悔いたところで、現実は変わりません。
「今子どもができたら、子どもが20歳のときに自分は~」なんて、年齢を数えてみる余裕もなくなりました。
若くなれない、戻れないことが悲しいです。
不安が積み重なっていく夜
そのように、調べてみたり想像してみたりすると、不安が積み重なっていきます。
不妊治療、PCOS、排卵障害、クロミッド、自閉症リスクなど。
調べれば調べるほどいろんなことが出てきます。
そしてそれが自分に当てはまっているように思えてしまいます。
実際は当てはまっているのではなく、不安ゆえに当てはめているだけなのかもしれません。
しかし、不安は増大していくばかりです。
子どもができなかったら…という怖さ
妻が最後にひとりになる未来を想像してしまう
“子どもができれば妻がひとりじゃない”とは言いませんし、子どもには子どもの人生があると思います。
子どもは、年老いた親の尻拭いをさせるために生むものではないとも思います。
しかし年老いたときの妻のことや自分が男性であることを考えると、妻にとって子どもがいない未来は寂しいものなのかなと思ってしまいます。
私は男性であるため、順当に行けば私が妻より先に亡くなるでしょう。
そのときに年老いた妻を見てくれる人が誰もいなくなる。
それを考えると、胸が苦しくなります。
年の差夫婦だからこそ抱える不安
私たち夫婦は歳の差があります。
さらにそこに私が男性であることを鑑みて妻の老後を考えると、妻はかなり長い間ひとりで生きなければいけません。
妻はひとりで人生を謳歌できるタイプでないことは、長年付き合ってきてよくわかります。
だからひとりにはしたくないという気持ちがあります。
その気持ちは、妊活がうまくいかなければいかないほど、不安に変わっていきます。
だからこそ「子どもが欲しい」という気持ち
“だからこそ”と言ってはいけないことは分かります。
「年老いた自分たちの面倒を見させるために子どもを作るのは良くない。子どもには子どもの人生がある」と私は言いましたしね。
しかしそれをもってしても、妻のことを
揺れる気持ちごと、ふたりで進むしかない
「まだ不妊治療じゃない」と思っていたのに、もうその中に入っていました。
妻が薬を飲んでいる現実も、自分が知らなかったことも、正直ショックでした。
PCOS、自閉症リスク、年齢のこと…。不安は尽きません。
でもそれ以上に「ふたりで歩んでいきたい」という気持ちがあります。
感情が揺れても、その揺れごと妻と一緒に進みます。
それが、今の私にできる唯一のことなんだと思います。