流産のあと、ずっと開けなかった本をようやく読めた。

前回、陽性が出たときに喜んで買った妊娠・出産ガイド。
妻には負担になっていたかもしれない。けど嬉しくて買ったんだ。

流産がわかった日から、触れることすらできなくなって、
ずっと本棚に置いたままでした。

だけど今日、
ようやくそのページを開くことができました。

前回の記憶と、本が持つ意味

喜んで買った瞬間

前回の陽性が分かったときに、喜んですぐに買いました。

私は男性ということもあり、妊娠出産の知識や情報に疎いです。
けれど男性であることを言い訳にしてはいけないと思い、妻に寄り添う気持ちでこの書籍を手に取りました。

挿絵をかいているのは、妻の好きなイラストレーターの方です。
なので、夫婦で楽しんで読めるかなという思いもありました。

流産がわかった日、本を閉じるしかなかった気持ち

流産がわかった日。
私はその本を閉じるしかありませんでした。

命を失ったあの日。
命を授かる本を読む意味がない。

本棚の一番隅に置きました。
置いた瞬間に、埃が被る気しかしませんでした。

「またこの本を、開ける日は来るんだろうか」

今回の陽性が分かるまで、
本棚のこの本に視界に入る度にそんなことを思っていました。

触れられなかった理由

妊娠や出産、子育てを考えるのであれば、先に読んでおいて損はないです。
学校の勉強でいう予習みたいなもんですから。

ですが、
流れてしまった命、次がいつになるか分からない妊娠。
もしかしたら、そもそも次はないかもしれない。

試験があるのかないのか分からないのに浪人して大学のサークル勧誘のチラシを見て思いを馳せる、みたいな意味不明な感じになる。

それに、
流産後にすぐにその本を開けてしまったら、流れてしまった命をなかったことにしているような気がして。

初めての陽性。知った時に飛びあがるほど喜んだ。
あなたを最初知った時のサイズが2㎜だったから、2㎜ちゃんと名づけた。
6㎜、8㎜と成長して、でもずっとこの名で呼んでいこうなんて夫婦で笑いあっていた。

そんな思い出たちも、まるごと捨て去るような気もする。

だから読めなかった、触れられなかったんです。

再びページを開けた今日

妻との会話

妻がまず、この本をふたたび読みだしました。

妻はよく、「まだ心拍確認まで行けてないから」「反復流産の可能性もあるし」なんて言います。
私は妻のその温度感に合わせるために、しっかりと話を聞きます。

前回越えられなかった心拍確認という壁を越えられていないこと。
反復流産、からの習慣流産になって不育症になってしまうこと。

妻と話をしていると、
不安8割、期待2割か1割くらいな感じがしています。

けれど、この本をひとりで開けたということは、期待が3割、もしくはもう少しくらいあるのかな?という気がします。

この本を妻から開けたことが、夫婦の無言の会話になった気がします。

夫としての成長

妻の体が変化していくのを見て、いくつかのことに気づきました。

ひとつは、これまで”ぼんやりとしていた知識”でしかなかった妊娠が、”目の前の現実”になったこと。
もうひとつは、痛みやつわりを目の前で見て、守らなければと思ったこと。
最後は、妻の小さな変化に以前より敏感になったこと。

そして、前回の経験が自分を少し大人にしました。
前回の陽性のとき、自分は浮かれてしまっていました。
でも今は、私の気持ちより”妻の温度感を”大切にしようと思えています。
喜びよりも、守りたいという気持ちが先にあります。

心の使い方も変わりました。
自分の感情より、妻の安心が優先になりました。
どう声をかけるか―――、を声をかける前に少し引いて考えるようになっています。
こういった思いや行動の積み重ねで、”不安を一緒に抱えて歩いていく覚悟”が芽生えたように思います。

夫としての成長って、派手な変化じゃなくて静かな決心なのかなと思います。
妻のことを気にかけて送迎を申し出たり、この時期をちゃんと残したいと思って妻の後ろ姿を写真に残したり。
アピールをせず当たり前に、家事をしたり重い物を持ったり。

こういう小さな変化こそが、夫の成長なのかな、と。
そしてこれこそが、父になる準備なんでしょうね。

読めるようになった「今」の特別さ

本の内容はいったん置いておくとして、
この本を開けることは私にとって、とても怖いことでした。

開けてしまうことで、2㎜ちゃんのことが終わってしまうんじゃないか。
2㎜ちゃんのことをなかったことにしてしまうんじゃないか。

そんな怖さがありました。

しかしその怖さは、杞憂にすぎませんでした。
むしろいろんな気持ちを抱えてなお、本を読めたことで、前に進めたというか、2mmちゃんのことをやっと落ち着いて考えられるようになった気がします。

もちろん、今回の陽性が嬉しくてそう思えているという部分もあると思います。
しかし前回の流産に支えられている気もします。

夫は努力して理解を深めるしかない

妊娠・出産は妻の体で起きる

お腹の張り、胃の圧迫による気持ち悪さ、小さな痛み、体温の微妙な変動、眠気、精神的な不安定さ。
こういった変化やそれに連なる大変さを、夫は横で見ることができても「共に体験する」ことはできません。

妻の不安は、”体と連動したもの”。
夫の不安は、”見守る側のもの”。

同じ不安でも、不安の種類が違います。
だからお互いに分からなくて、ぶつかってしまうこともあります。

ここで唯一、夫にできるのが、”想像する努力”なのかなと思います。
精神が不安定な日には、その背景にホルモンの変化があると理解したり、吐き気があると言われた日は食べられそうなものを一緒に探したり。

体験できない、だから分からない。仕方ない。

ではなくて、「体験できないからこそ、”知ろうとすること”」が夫の役割なんだと思います。
この役割を果たせるかどうかは、夫の覚悟次第なんでしょうね。

男性側は“学ぶことで寄り添う”しかできない

男性は体で感じることができません。
妻は体ごとで味わっているというのに。
見て想像することしかできません。

この違いはどうやっても、埋められません。
だからこそ、知識を通してしか妻の世界に近づけません。

体験することはできない。けれど”理解を増やすこと”はできます。
流産やつわりの医学的な情報を調べたり、知人や友人に出産の話を聞いてみたり。

しかしどこまで行っても、”寄り添うこと”しかできません。
ここには学ぶしかない悔しさがあります。

妻の痛みを代わってあげられない。
吐き気や気持ち悪さも感じてあげられない。
流産を止めることだって―――、できなかった。

しかしその上でもなお、私は知識をつけて理解を深めていきます。

理解を深めることで、寄り添うことしかできませんが、寄り添うことはできます。
同じところには行けませんが、距離を近づけることができます。

せめて少しでも、妻の世界に近づくために。

本は夫婦の歩幅を揃えるためのツール

妻はその体で、妊娠を経験しています。
しかし夫は、知識でしか追いつくことができません。

だからこそ、
夫婦ふたりで「同じ本を読む」ということが、体験の差を埋める唯一の橋になるのかなと思います。

初期の過ごし方、気を付ける食品や生活習慣、今後どうなっていくのか。
同じ情報を同じタイミングで受け取ることで、夫婦ふたりの歩幅を揃えられます。

そして、
読んだ内容が「会話の土台」になります。
現在の状態やこれからの未来についての話は、同じ知識を共有しているかどうかで深さがまったく変わってきます。

さらに、
私たち夫婦は流産を経験しています。そのため、この本がずっと読めなかった。
その本をふたりで読みなおす行為こそが、「一緒に乗り越える姿勢」になります。

触ることすらできなかった本、やっと読めました。

最後に、
本は「夫ができる唯一の事前準備」になるのかなと思います。
事前に知識をもっておくことで、妻の体に変化があったときの支え方が変わります。

代わることはできません。
しかし、変えることができるんです。

前に進むために、本を開いた。

この本を再び開けたことは、ただの行動ではなく、“前回の悲しみをひとつ超えた”証でした。
それによって、夫としての成長や父になる覚悟も感じられました。

本を開いたことで前に進めたし、前に進む自信にもなりました。

妻のつらさや痛みを代わってあげることはできません。
ですが理解を深めることで、妻の支え方を変えることはできるんです。

それに気づくことのできた本でした。

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